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ほねつぎ日記
私、宮川重雄が、柔道整復師として、また一個人として思う事、感じた事をつれづれなるままに書き綴ってみたいと思います。お暇な時にでもご一読いただければ幸いです。


人生最高に感動したこと
(2006.11.12)
 藤原鎌足のミイラ、1300年のミイラ(木乃伊)なんと驚きである。





1300年と云えば、気の遠くなるような話である。「気の遠くなる話」のついでに、
このホ−ムペ−ジの中のタイトル〜「人生最高に感動したこと」〜を、改めて今一度読み返してみることにする。
・・・・・およそ2千年も前の死体である。・・・・・
ウソのような本当の映像である。

〜<記録映画「江陵漢墓」(中国168号漢墓発掘)映写>の内容説明である。〜

中国は湖北省江陵県。棺は地下約8mで発見。棺は二重。完全に整った男の死体。
カメラのレンズは、発掘はもとより、持ち帰ってからの解剖のすべてを追ってゆくのである・・・・・。
信じられないようなフイルムである。・・・・・2千年も前の死体というのに、つい先ほど息を引き取った死者のように、皮膚には十分に艶も張りもある。健康的な筋肉が付いている。そして、なんと筋萎縮がなく、弾力性を保っている。驚いたことに、「硬直がない」といって、手足の関節を係の人が動かしていた。眼球も完全。32本の歯も丈夫だ。・・・・・されど腹腔内には血塊、心臓と肺は癒着、胆嚢には結石、大量の腹水・・・・・しかし甲状腺、膵臓、睾丸などの器官はすべて完全に保存されていた。・・・・・つづいて頭蓋骨を開けると、脳表の血管も見える。12対の脳神経も識別ができたと解説あり〜〜などなど詳しく、丁寧に説明されていた・・・・・。なんと、なんと2千年前の死者である。・・・・・
60歳位。身長167.8cm。体重52.5kg・・・・・

凄い数の埋葬品、副葬品などから、この男性は紀元前167年5月13日の死亡が判明。名前は遂(スイ)。江陵県市陽に住み、五大夫(ゴダイフ)という位を持つ・・・・なんと
そこまでも分かるのか! ・・・・・
2千年の驚きもさることながら、ウソのようなこの神秘的な保存技術に驚嘆と感動であった。

大織冠
(2006.11.09)
ちなみに、大織冠のレプリカ。
周囲に金糸で刺繍が施されている。

益田氏 その2
(2006.11.08)
更に「X線写真の読影により、主な死因は圧迫による第11胸椎の脱臼骨折と左第10および第12肋骨骨折(仮骨形成をともなう骨折の変形治癒像がみとめられる)」・・・・・

・・・・・・藤原鎌足であるという驚きと、1300年近くの経過にも拘らず、これほどまでに鮮明な写真が読める遺体保存の技術に驚嘆と感動・・・・・

     ・          ・            ・


(それにしても、この判明は昭和57年というのに、・・・・・・・私だけが知らなかったのか・・・・・・)


そしてもう一つ、私の住む益田は島根の西の端、山口県との境である。その山口側に長州は「阿武」という地名がある。
鎌足の末裔の一人、私の街の城主・益田氏第20代は関が原の戦いに加勢の後、その「阿武」の地に移って、時代は流れ・・・・・第33代は大化改新に匹敵する革命で「禁門の変」の責任を負って切腹。

翌々年再度引き続いた「明治維新」は第34代が指揮役として活躍する日本の夜明けの発祥地の一つ益田は、皮肉なことに旧領で、相手方となる幕府軍の立てこもった三箇寺は先霊安置の菩提寺であり、心中察するに余りあり・・・・・・・・・・。  
後に・・・・・「阿武」の土となって、阿武は笠松山の山麓に歴代の立派な五輪塔が並ぶ。(全国的にも珍しい)その約1キロの地に益田氏を祭る笠松神社が造営されている。

 ・            ・            ・ 

 密かに思うに・・・・・
・・・・・なんと、「鎌足」の末裔の益田氏*大化改新に匹敵する明治維新*県境の同じ「阿武」という地に眠る*そして頭にかぶる大織冠神社ならぬ笠松神社が、同じように約1キロの地に〜〜〜これら奇縁というか、遠因というか、何かの因縁を感じ、私の胸の地震計が治まりそうもない〜〜〜

・・・・・それにしても、この2冊の書物に巡り会え、日記としての引用をお許し願って、衷心より満腔の感謝を捧げたいものである。・・・・・

益田氏
(2006.11.07)
私たちの住む益田市の益田氏(中世に栄えた石見の豪族)の始祖は、蹴鞠が縁となった中大兄皇子(のちの天智天皇)と、密かに策を練って、あまりにも横暴な蘇我入鹿を倒すというク−デタ−を実行して成功し、また645年の「大化改新」に携わって、大織冠を授かった、あの「藤原鎌足」であると伝えられている。
          ・         ・         ・
つい先日のこと、単行本《歴代天皇のカルテ》(篠田達明著)を求めて帰って、何げなくパット開いたところ、驚いた。天皇の本である筈なのに、なんと「鎌足」についての記述であった。
かいつまんで申せば、「日本書紀などを引用し、669年5月5日のこと、鎌足は天皇にしたがって山科の御猟場へ狩に行った際、馬上から転落して背部を強打。10月16日雷鳴がとどろく中、息絶えた。享年56。」とある。そして、文章はつづく・・・
「1934(昭和9)年4月、大阪と京都の中間に位置する高槻市(高槻市と茨木市の境)にある阿武山丘陵の京都大学地震観測所で工事中に古墳を発見し、漆塗りの棺に納められた一体の遺骨が発掘された。」
「ところが内務省と宮内省は『もしや古墳は天皇稜かもしれぬ。さあれば全員不敬罪だ』と恐れをなして、はやばやと発掘中止命令をだして古墳と遺骨を埋めもどさせた。」


「それから半世紀近く経って時代も変わり、1982(昭和57)年6月、たまたま地震観測所の研究室でほこりをかぶっていた貴人のX線写真がみつかった。現代のハイテク技術を駆使して写真を修復したところ、遺骨は藤原鎌足のものと判明した。・・・・・

(『蘇った古代の木乃伊=ミイラ〜藤原鎌足〜』小学館)。」・・・
とあった。                   
           ・
早速、本屋へ飛んだ。しかし、なかった。
出版社にもないという。・・・蔵書も多く、立派な益田市立図書館にもない。・・・・残念がる私を察して、女性職員は親切に「一寸お待ちください、松江の県立図書館に伺ってみましょう」ありがたい時代だ、と思って間に「県立にありましたよ」あった!!よかった。取り寄せていただいて、むさぼる思いで活字を追った。
一気に読んだ。2回も・・・・・・

<写真、日本書紀、および大織冠の金糸などによって鎌足の遺体であると判明>


            続きは、また明日に!


痛みと炎症 について
(2006.11.05)
 「痛みを起こす物質は、炎症も起こす」このことは疾病や損傷部を治す上において重要なことであり、腫脹や発熱と同じように、疼痛もまた随伴症状として経過の目安になっていた。
つまり異常部分を早く正常に戻すことによって、だまっていても痛みはとれるとして、痛みに対する姿勢や研究が遅れたことは事実であろう。
しかしそれ以上に目に見えない痛覚の神秘的な複雑さは、ぐちゃぐちゃにもつれた糸が、団子になって、更に幾重にも絡み合ったような摂理にも似た痛みのからくりを、解きほぐす難しさが本音であろう。
ともあれ、時代とともに疾病構造も変わった。
痛みに対する感受性も、忍耐力も、打ち消す自己暗示力も、現代人らしく変容するなかで、痛みを主訴とする患者さんは、むしろ増加しているのが現状であろう。
「だまって座ればピタリと当たる」とか、「まとめて万事お任せください」では、患者さんは納得しないのである。
現代人はただ堪えて、待ってはいられないのである。
痛みを起こす物質は、炎症も起こすということは、痛みを治すことによって、異常部分は正常に戻るという論理と相俟って、対する医療構造も変わってきたし、むしろ、もっと早くに、激しく変わるべきであったと思う。勿論「だまっていても痛みはとれる」という原因療法は云うまでもなく重要であるが、並行して「痛みを治す」という対症療法の研究や方法も多彩となり、専門機関の増加をみるのも時代的にうなずけられるのである。

昔々、学生時代に、感覚器系の一部「触覚、痛覚、温覚、冷覚の皮膚感覚と、その深部にある筋覚は、神経末端で感受された刺激は、知覚神経により脊髄に入り、大脳の知覚中枢に達する」とか「筋を興奮させる刺激としては、機械的刺激、電気的刺激、温熱的刺激、化学的刺激等がある。
〜〜筋は直接これを刺激しなくても、筋の分布する神経を刺激すれば同様の効果をきたす」などなど、極めて初歩的ではあるが重要なことの数々を教わったことを懐かしく想い出すのである。

さて、問題の痛覚であるが、痛覚の受容器としての特殊な構造は見当たらないという。体内にブラジキニンという化学物質が微量に含まれていて、発汗と末梢の微細血管の調節作用を司っている。
組織への物理的、機械的、侵害刺激はもとより、自律神経のアンバランス等、何か異常が起こり、或いは病態となると、このブラジキニンなる物質が局所へ集積し、神経終末が刺激され、脊髄後根を介して大脳皮質に至り、痛みとして感じるそうである。
私には分からない深いところの知識であって、昔読んだ「痛みと人間」(清原迪夫著)を記憶しているから引用させてもらった。
そして、すでに世の多くのみなさまもご存じのとおり、やや決定的ともいえるゲ−ト・コントロ−ル説がサイエンスから発表されて久しい。

ある日のバカ日記
(2006.09.28)
その1
「痛い!・・・ああ痛い、痛い!」
人間、なににもまして堪えられないのが痛みであろう。

そもそも自然は生と死と、同時に痛みをも与えてくれた。
古来より、痛みを鎮めることが医療の原点であった。
医聖ヒポクラテスは「痛みをとることは神の成す技である」と言ったそうである。
私は、患者に「痛いということは、そこの組織は死んでいない。つまり生きている証拠ですよ」と、よく冗談を言う。
大方の人は、生まれて間もなくすると、何事かによって痛覚を知る。そして、死ぬまで拘わり合ってゆくものであるが、すべて痛みは自身以外には、所詮わからない感覚なのである。
痛みに共鳴はできても、我が身をつねっても、他人の痛さはわからない。痛みとは、実に孤独なものでもある。
同時に、また痛みは防御的機構として重要である。身体内の異常を知らせてくれるシグナルともいえるであろう。
赤子の空腹時の号泣のように、身体組織の異常が激しければ激しいほど、そのシグナルは悲愴な叫びとなって訴えるのである。

人工衛星・バイオ革命・ハイテク産業・試験官ベビー・宇宙都市・海底都市・・・今の時代は、実に素晴らしい限りである。・・・
文明はあらゆる分野で際限なく発達している。そして、あらゆる面で恩恵を受けている今日、なおも解決していないのが「痛み」の問題であろう。
どうやら、痛みから逃れることのできないのが生を受けた私たちであり、まさに生きている証しということになるのであろう。・・・人間から痛覚が消滅したら、シグナルが消えて、疾病や外傷は頻繁に発生し、寿命は極めて短くなり、心身が古くなったコンニャクのような、人間喪失ということになるであろう。浜辺に打ち上げられたクラゲのように・・・
では、なくてはならない、しかしあってはならない、この痛みの正体について少しは考えてみる必要があろう。・・・

「ホームページ開設にあたって」
(2006.09.23)

みなさまには、ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。
平素は、格別なるご指導とご厚情を賜り、衷心より感謝申し上げます。
さて、ことわざに「命あっての物種」或いは「命に換える宝なし」とあります。たった一つの貴いお体ですから、なんといっても「元気が一番」でありますが、《元気》というのは、空気のように見えなくて、明日の天気のように当てにならないことでございましょう。
また「無病息災」は万人の願いですが、「一病息災」という俗語もございますように、一病を持ち合わせることで食事や生活習慣の改善などに留意していただき、一病と上手に付き合うことによって、お天気は曇りでも、かえって長持ちできるということになろうかと存じます。《公助も互助も素直に必要ですが、たった一つの貴いお体ですもの、先ずは自助努力が肝心》ということになりましょう。………癒しには、ご自分をとりもどすための、ほんの少しのゆとりと心がけが肝要かと存じます。
あえて、もう一度申します。一回こっきりの命、たった一つの貴いお体ですから当然、医療機関も治す方法のメニュ−も患者さまに選択の自由と権利があるといえましょう。
つきましては、医療機関に任せきりでなく、患者さまも積極的に医療に参画し、ますます信頼の絆を深め、どうしても共同体制が必要となりましょう。
閉じるに当たり、痛みの癒しについて、私なりに模索しながら精一杯に励んでいるところでございます。どうぞ、ご指導とご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ、あいさつに代えさせていただきます。


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