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私が生まれ、育ち、この整骨院を営んできた『島根県益田市』。生え抜きの益田人である私が、わが街益田市の主な歴史、名所・旧跡などをいくつか紹介いたし
ます。 機会がありましたら、どうぞ、ご家族さまお揃いで〜ご一泊で〜「益田」の散策に〜来て見んさいャ〜〜 |
| 「益田氏」 (ますだし) | |
![]() 益田七尾城跡 |
我が街益田は大織冠の鎌足を始祖とする系図で、初代は藤原定通(御神本国兼と改める)、4代御神本兼高(益田兼高と改姓)。 初代定通は石見の国司として下向す。鎌倉初期の益田氏の所領分布図「日本中世国家史」によると、石見の殆どを所領し,益田城(七尾城)は石見最古の城であ り、天険城でありました。また11代兼見の代まで守護職がつづきました。 400年以上もつづいた栄耀栄華は、慶長5年(1600)の関ケ原を境にして20代元祥は萩・毛利藩の永代家老となり、領土は浜田藩と津和野藩に分割され て、廃城となりました。 その益田城(七尾城)跡の七尾山及び益田氏居館・三宅御土居跡は《国指定の史跡》になっています。 慶応2年(1866)新しい日本の夜明けの発祥地・石州口の戦い(幕府と長州の戦争)・当院から、すぐ一山を越えたところに扇ケ原関所跡があり、最後まで 戦った関守 岸静江は実にあっぱれ義士として忘れられない。 〜夏草や兵どもが夢の跡〜 |
| 医光寺「雪舟庭園」 (いこうじ・せっしゅうていえん) | |
| 雪舟の築庭で池泉観賞式庭園。書院前から本堂にかけて鶴池が広がり、池中に亀島が浮かび、石橋が架けてある。武家様式をとりいれている。 《国の史跡・名勝に指定》 |
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| 万福寺「雪舟庭園」 (まんぷくじ・せっしゅうていえん) | |
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雪舟の築庭で池泉回遊式・観賞庭園。同じ雪舟作でも医光寺庭園とは対照的に、寺院様式須弥山風の庭園。室町時代の庭園様式の典型。《国の史跡・名勝に指定》
なお、本堂は南北朝期の文中3年のもの。桁行・梁間とも七間四方の大規模な単層建築で、屋根は四注造の黒瓦葺き。前面扉部分に鎌倉時代 の手法をよく表している。《国の重要文化財に指定》 また、鎌倉時代の仏画、絹本着色二河白道(にがびゃくどう)図一幅あり。《国の重要文化 財に指定》 なお、書院の襖絵の紙本墨画楼閣山水図32面が《県の文化財に指定》 |
| 「東光寺・大喜庵」 (とうこうじ・たいきあん) | |
| 幼少のころ、お寺の本堂の柱にしばられて「涙でねずみの絵を書いた」あの画聖・雪舟さん(諱は等揚)終焉の地です。永正4年(1506)ごろ、享年87 歳。大喜庵背後に墓あり。(宝暦年間の再建) |
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| 「雪舟の郷 記念館」 | |
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大喜庵のすぐ上にある。外観は天童寺(中国)をモデルにした本瓦葺き。雪舟筆「15代益田兼堯(かねたか)図」《国の重要文化財に指定》や、六曲一双の「花鳥図屏風」(複製)など日本画を収蔵・展示している。 本庭には八景園があり、石の一つ一つ見ていて飽きがこない。 |
| 「染羽天石勝神社」 (そめばあまのいわかつじんじゃ) | |
| 神亀2年(725)の創建(奈良時代)三間社流造、桧皮葺きで、蟇股斗組みや、透彫りの手鋏等に、華麗な桃山時代建築の特色をよく示す。御朱印地を持った 神社として有名。石神を祭ったのが起源とされるこの天石勝神社に肖り、「石に立つ矢」の諺のように、困難を乗り越える信念を持って努力したいものでありま す。《国の重要文化財に指定》(昭和4年4月6日国宝に指定されていた) |
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| 「県立万葉公園」 | |
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柿本神社(高津町)周辺、56ヘクタールの公園計画。「万葉植物園」をはじめ、まほろばの園、天飛の丘、望月の丘、天地の丘などいろいろな施設も整備さ れ、このたびは人麻呂展望台ができました。 |
| 「柿本神社」 (かきのもとじんじゃ) | |
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万葉の歌人柿本人麻呂を祀る「柿本神社」がここ益田に2ケ所。一つは、生誕地とされる柿本神社(戸田町)と、いま一つは終焉地とされる柿本神社(高津町)
である。生地の柿本神社には人麻呂の遺髪塚がある。 終焉地の社は神亀年間の創建と伝えられる古社あり。万寿3年(1026)の大地震で水没。慶長13年(1608)に石見銀山奉行が社殿を造営。延宝9年 (1681)津和野藩主が現在地に移し、社殿を造営したと伝えられる。 |
「柿本神社」高津町
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| 「三里ケ浜海岸」 (さんりがはまかいがん) | |
![]() 持石海岸 |
高津川・益田川を挟んで鵜ノ鼻古墳群の下までなら五里ケ浜にも及ぶであろうか、きれいな砂浜が延々とつづく。なかでも、持石海水浴場にある観音岩が視野に 入った日本海の落日は実に美しい。海水浴客で賑わうこの砂浜の東西には風光明媚な断崖や岩場がつづいて、釣り客で賑わう。 |
| 「石見神楽」 (いわみかぐら) | |
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神々を招き、鎮魂のための行事。明治維新に神職の演舞禁止令により、神官から土地の人々に受け継がれ、芸術的な気品ありて、石見人の気性そのままに勇壮な
テンポで人々を魅了する。特に、動きのスケールに圧倒される「大蛇」(おろち)は代表される演目であろう。世界各地に絶賛を博しています。 ちなみに素戔鳴尊(すさのおのみこと)が八岐大蛇(やまたのおろち)を退治したとされる神剣「十握剣」(とつかのつるぎ)と、日本武尊(やまとたけるのみ こと)が野の草を刈り払ったとされる神剣「草薙剣」(くさなぎのつるぎ)は同一の剣と伝えられています。 |
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| 「益田糸操り人形」 (ますだいとあやつりにんぎょう) | |
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現在は、全国でも益田の他はわずかな地方に残るのみ。舞台の歩みで演じる使い手が、三味線・浄瑠璃に合わせ、手板から垂らした糸の操作によって、人形に色 々の演技をさせる。主演目に「寿三番叟」「傾城阿波の鳴門」などがある。《県の無形民俗文化財に指定》 |
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[参考文献] 益田市観光協会発行「ますだの散歩道」(矢富厳夫著)/益田市観光協会発行観光リーフレット/須佐町教育委員会発行「益田氏と須佐」(西村武正編集)/ 「島根県医学史覚書」(米田正治著)/「歴代天皇総覧」(笠原英彦著) |
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